応援団からの感想文

永井英彰さんの感想文

 「牛飼い小僧・周助の決断」の感想
 
 日本のブランド牛は三重の松阪牛、神戸牛、宮崎牛、淡路牛、米沢牛、近江牛など各地にある。しかしもとは兵庫県北部の但馬地方から各地に出荷される。そこで数年育てられたら、それぞれのブランド名が付けられるのだ。
 それをわずか百年ほど前、前田周助が但馬牛を系統化する基礎を確立した最初の人物だという。
                      
 周助はがむしゃらに人を信じ理想の牛を求め、親戚からも借金を重ねながら。出稼ぎを余儀なくされていた村人、追剥をしていた盗賊までも味方に引き込みながら、遂に成功した。が妻およしは周助に背負われたまま亡くなってしまう。
 周助がどこまでも人を信じて村作りを成し遂げるという執念が凄い。

************************

「アヴェマリアのヴァイオリン」の感想


 このヴァイオリンを持っていたのは、シューベルトの「アヴェマリア」を一生懸命に弾いていたハンナという子だったので、『アヴェマリアのヴァイオリン」という俗称がついた。徳島に住む私アスカはアウシュヴィッツ収容所前で見つかったヴァイオリンについて事情を知るドイツの老人カルザスさんと大坂で会えることとなった。
 カルザスさんから「歴史の勉強は年表を覚えても駄目だ。史実に基づき、自分の頭でいろいろなことを考え、感じることが勉強なんだよ。人間にとってこれから先、どう生きていくべきか、幸せとはどんなことなのかを追求し、世界に目を開き、きちんとした自分の意見を持つことが歴史を学ぶことの意味なんだ」「また、自分を構築することが必要だ。それは自分の感性を豊かにして幸せを感じる心を育てるということなんだよ。幸せになって、その幸せを人に分けてあげられる人間になるということだ」と、話を聞かされた。

 筆者の香川宣子さんはこの作品に寄せ、あとがきで「アウシュヴィッツ強制収容所や板東収容所での出来事をフィクション化して書いたわけでない。主体は音楽です。文化的な意義を作品を通じて見つめ直し、さらに将来に向けて有意義な音楽文化の在り方を皆様に考えて頂ければ、という思いに駆られて書いた」と述べている。

 私は板東の俘虜収容所で『梵天の民』と接した元俘虜がアウシュヴィッツの俘虜収容所に登場させる事で、天国と地獄を対比させる手腕が素晴らしいと感じた。分かっていたつもりではあるが、板東収容所の俘虜対策の素晴らしさを再認識した。私は板東俘虜収容所は世界遺産に値すると確信した。第60回青少年読書感想文全国コンクール課題図書に選ばれ、角川文庫に採用されたのも当然だと考えている。

*************************
 「日本から阿波ストーリーが始まります」


 前書きで著者の香川宣子医師は次のようにいう。
 西暦六〇〇年以前の日本の歴史は、ある一つの事実を隠すために、平安京以前の中心人物によってあらゆる方策が練られ、やがて完全に塗り替えられてしまいました。聖書には「(自然破壊、環境悪化、戦争等で破壊しようとする地球の)最後には神の栄光を知らない東の日出る島の人たちが地球を護るために歌(音楽)を携え神の栄光を伝えにやってくる」というくだりがあります。「隠された古代日本」「聖書の言葉」とはいったい何を意味するのでしょうか?その謎が解き明かされた時、今までとは全く違う「日本の運命」が浮かび上がってきます。
 アヴェマリアのヴァイオリンの原作「ザ・ヴァイオリン」は英語の翻訳本が出版されていたため多数のユダヤ人の目に触れ「アウシュヴィッツと関係のない日本人がなぜ?」と話題になったようだ。彼らは「この物語は四国剣山の神ヤハウエが麓にいるあなたに書かせた作品であり、我々が待ち望んでいた世界の蘇りがやっと始まるのだ」との事である。それからは元駐日イスラエル大使、エリヤフ・コーヘン大使やアメリカ正統ユダヤ人らが來徳し、剣山へ一緒に登り、旧約聖書に出てくるアーク(聖櫃。ソロモンの秘宝)が隠されているという鍾乳洞へも案内された。そして、日本人でも知らない古代阿波の秘密を聞かされるうちに、なぜ阿波の歴史が封印されなければならなかったのか、聖書に隠された日本の宿命とは何だったのかを知るに至った。
 筆者は聖書を始め記紀、万葉集、阿波地方史、魏志倭人伝にまで研究の範囲を広げていく。

 香川先生は邪馬壹(やまと)国は阿波のことで、天孫降臨は木屋平から神山、それから徳島市国府町矢野神領が卑弥呼の住んだ所と考えておられる。筆者も二〇一九年「邪馬壱国は阿波だった」を共著で出版している。香川先生は高天原の文化の前に、イスラエルと深い関係があったと説く。私は古事記に止まっているが、この本は私にとって三冊の中で一番面白かった。日本の、阿波の古代史としても格好の読み物である。

渋野令子さんの感想文 

「アヴェ・マリアのヴァイオリン 」を読んで

読み終えて、まず痛感したのはリーダー・トップの人間性、人間力の大切さです。

日本にあった俘虜収容所の中で、鳴門板東がこのように語り継がれるのは松江所長の理念や志だけでなく精神性の高さからくるものもあったのではないだろうかと感じました。

自分なりに平和って何だろうと考えたとき、まず、生きていていいということではないかと思いました。
事件、事故、天災などで誰しもすぐ先の命はわかりませんし、病気やいじめでもっと生きたいのに叶わないということもあると思います。
いじめる人、いじめの対象になってしまった人、いい人、良くないこと考える人、どんな人かに関係なく生きることを許されない状況に置かれる、それが戦争なのだと思いました。
あすかが思ったように、今の生活のすべてが当たり前でないということも改めて感じました。失敗や挫折、不公平感や怒り、いろいろな感情や出来事は日々降って湧いてくるけれど、それさえありがたいと感じる必要があるのではないかと思えてきます。
そして、ハンナのように自分だけでなく人の幸せを願うことができるようになること、他者の心に想いを馳せることができることが心の平和なのだと思いました。

音楽を聴くということは、自分の持ちきれない罪や不安や後悔を一時手放すことができる時間であり、そういう力がクラッシック音楽にあるのだろうと思いました。学生時代、同級生のお母さんが、「つら過ぎて涙も出ない時に聴きたいと思ったのはクラッシック音楽だけだった」と言っていたのを思い出しました。
本を閉じては開くの繰り返し。私は感情を入れ過ぎるから辛いのだと、浮かんでくる場面は一つの映像だと思って感情を入れずに受け入れることにしました。そうすると、胸詰まる場面も単に映像を見るように流れていきました。
もしかすると、多くのドイツ人、アウシュビッツにいた人たち、その周辺に住んでいた人たちは、自分の心を守る為に、目の前で起きていることを一つの映像のように流していったのではと想像しました。そうでもしないと生きていくことができなかったのではないかと。

生まれる時代と場所を選べない残酷さ。日本でこの時代に生きている人間にできることを考えていきたいと思います。
私達個々の存在や想い、立つ場所は小さくてもその一歩で、世の中を光の方へ導いていくことができるのでは。
気づいた人達が、今いる場所で輝いて生活する事。それが、未来を変えていくことができるのではないだろうかと思いました。
梵天の子供達、ハンナ、板東俘虜収容所。
無邪気さ、純真さ、絶望と無償の愛、大切にされた人としての尊厳。
時代も場所も状況も違っているけれど、それぞれが人々の光であったのだと思います。
そして、そんな光に誰もがなれると思いました。

世の中が落ち着くのはもう少し先のようですが、この物語のステージがさらに広がりを持ち、ハンナのヴァイオリンが再び曲を奏でるその時を楽しみに待ちたいと思います。

「ユダヤアークの秘密の蓋を開いて日本からあわストーリーが始まります」を読んで

剣山のアーク伝説は、もはや伝説ではなく明らかにしてはいけなかった事実だと感じました。

 剣山山開きの神事と京都祇園祭の日の一致の謎。空海、四国八十八カ所の意味。

 なぜ、大嘗祭のあらたえは阿波・徳島から献上されているのか?

 なぜ、神武天皇の銅像が眉山にあるのか?

 なぜ、眉山周辺に神社や寺が多いのか?

疑問に思っていた、心の中で絡まっていた糸が解けていくようでした。

 阿波に多くの本宮がありながら、ひっそりと地域の方々に守られながら在る理由も理解できました。鉄の橋が架かる頃に明らかになっていくという事に期待すると同時に、阿波と四国の重要性と役割を考え始めています。

 著者は、日本とユダヤの歴史、日本人のアイデンティティを私たちに伝えてくれると同時に、「あなたはこれからどんな風に生きていきますか?起こる事をどんなふうに乗り越えていきますか?」と投げかけています。自分たちが守られていることを信じ、前に進むための力を惜しまないようにと伝えられている気がしました。

 著書の中に、エズラ第4書13章「彼らは、人間がかつて住んだことのない土地へ行き、自国では守ることのできなかった規則をせめて守るようにとの計画を互いに持ち合って、更に進んだ」とあります。

 この言葉は、「これから、人間がかつて経験したことのない世界へ行ったとしても、これまでの価値観を見直し、助け合い、認め合う気持ちと知恵を互いに持ち寄って、前に進んでいくように」という現代人へのメッセージとして重ねることができるのではないでしょうか。

 言葉と知恵を持ち、巧みに動く手足と体を持つ人。その想いや動きが個々に違っていたとしても人として生まれて使命を感じることは国を繁栄させる力となります。

 ユダヤと阿波古代史の関係だけでなく、著者の心の指し示す方向にも興味が尽きません。

片山 始さんの感想文

「日本からあわストーリーが始まります」 

実は、知り合いから薦められて購入したものの半年間は本を開きませんでした。
ふとした時にこの本を手にとって、見出しの中からから興味あるページを見つけて読み始めました。普通、本は最初から読むものと思いますが。

えっ!待てよ!何で!まさか!そんな!
驚きのことが次々と書かれていました。まず興味ある所だけを拾い読みし、一通り最後まで一気に読みました。

別に特に信仰心もなく、神社仏閣に興味もなく、山登りなどしたことも無いような毎日を送っていました。ところがこの本をきっかけに、謎解きのために神社仏閣・キリスト教会を訪れ、山登りを始めてしまいました。

というのも平安時代に蘇我氏が日本の古文書を焼き払ってしまい、正確な情報が消えてしまったこと。その後に歴史書として古事記・日本書紀が作られたこと。
日本の古代の歴史のヒントがこの徳島にあることに気づいてしまったのです。
この本のおかげで。

なぜ天皇陛下が即位する大嘗祭の時に徳島県の山奥から麁服(あらたえ)という麻織物が献上されるのか?なぜその時の御膳に徳島からの農産物・海産物がご指名で献上されるのか?

以前から気になっていいたのが、和歌山県に徳島県(旧名・阿波)とよく似た地名が多いなと感じていました。それはなぜなのか?
その「なぜ?」と言うところをこの本を読み進むうちに納得することができました。

空海が四国遍路のルートをどのようにして作ったのか?その背景には何があったのか?も確かに納得することができました。

特に興味を持ったのは、聖書と日本の歴史との微妙な関係です。何で聖書の内容が漢字にも表現されているのか、またなぜカタカナが古代語にこんなに似ているのか?

なぜ日本の童謡「さくらさくら」にはイザヤの名前がそのまま出てくるのか?

聖書になぜアワ人が出てくるのか?

確かに徳島は謎が多いと思います。田舎町に奈良の法隆寺と同等の寺の跡があったところがあります。こんなところになぜこんなものがあったのか?誰が住んでいたのかわからない。いつ建てられたのかもわからない。資料が全く残されていない。そこに立ってスマホの方位計を見て驚きました。真南には剣山がそびえ立っていました。それが解ったときには鳥肌が立ちました。

学校の授業では歴史・地理は全くの苦手で、まず興味が全くありませんでした。しかし、この本をきっかけに歴史・地理を見つめ治そうという熱い気持ちになりました。確かに書かれていることが次々とすんなりと自分の中に入ってきます

そして他の本や資料を見る機会が増えてきました。

その合間にも何回もこの「あわストーリー」を読み直し、本がマーカーだらけ、付箋だらけになってしまいました。
このくらい学生時代に本に向かい合っていたら、また違う人生になったかもと思うくらい読み直しました。

余り興味の無いところは、ほとんど付箋もマーカーもない一方で、大部分はマーカーだらけ、付箋だらけになってしまいました。

この本を東京に住む同級生に贈りました。しばらくして、10冊注文したとの連絡がありました。東京の徳島県人会で配るとのことでした。
不思議なことだらけです。

本屋の推理小説よりも、ずっと面白いと思います。
難しい人名や地名が多くて難しいと感じるところもありますが、この謎解きを今後続けて行こうと思います。そのきっかけを与えてくれたのがこの本でした。

 岡 ひで子さんの感想文

「アヴェ・マリアのヴァイオリン」を読んで

新しい本の表紙を開ける時、いつも私にどんな気付きを与えてくれるのかとワクワクしながら読み始めます。

作者・香川宜子先生は徳島の方で、「阿波ストーリーが始まります」の本の中で紹介していました「アヴェ・マリアのヴァイオリン」の本がきっかけで誕生した本と紹介していたので、以前から興味はありました。何度も手に取ろうとしましたが時間がかかりました。それは、アウシュヴィッツ捕虜収容所でのユダヤ人捕虜の音楽隊の話というだけでためらいがありました。世界でも最も辛い歴史がある所だからです。しかし、そこから目をそむけるのではなく、ちゃんと受け止める事はとても大切だと思いました。

さて、この物語には主人公が二人います。一人は第二次世界大戦下のドイツに住むユダヤ人少女ハンナです。
もう一人の主人公は現代を生きる徳島に住む中学生のあすか。この二人共通点はヴァイオリン演奏が好きで、ともに14歳の女の子です。
現代人のあすかの住む徳島といえば、第一次世界大戦中に俘虜になったドイツ人の板東俘虜収容所がありました。この捕虜収容所では敵国同士でありながら友情がはぐくまれた奇跡の楽園を築きました。それは敗北者の気持ちがわかる会津藩出身の松江所長がドイツ人捕虜を人道的に扱ったことで、ドイツ人捕虜と地元の人たちとも交流が生まれました。ドイツ人が俘虜収容所から解放されドイツに帰る時には松江所長や地元民への感謝気持ちとしてベートーヴェン第九の演奏されました。
それだけでは終わりません。ドイツ人捕虜のお墓を100年間ずっと守り続けてられてこられた地元の方がいます。それで今も板東とドイツとの友好が続いているのです。

どんな状況下でも自分が無心になれる物があることの強さと、音楽の持つ力の凄さを改めて気付かされました。
この本の登場する古いヴァイオリンは、時空を超え平和の生き証人のように、世界から悲惨な戦争がなくなることを伝えるために、作者である香川宜子先生の頭に降りてきて「アヴェ・マリアのヴァイオリン」の本が生まれてきたように思えます。

このヴァイオリンからは平和の叫びが聞こえます。どんなに極悪人でも優しい音楽を聞いたら涙を流します。上に立つ人の考えが戦争になり、普通の人までも狂気に変える愚かさ、怖さ、醜さがあります。
しかし、上の人に慈愛の気持があれば捕虜のパラダイスにもなれます。世界のみんなが慈愛をもてば世界になれば戦争はなくなります。この本が世界中で読まれることで平和の大切さに気付くことが出来ます。是非読んで欲しい本です。

「日本からあわストーリーが始まります」を読んで 

歴史に詳しい徳島の方から「あわストーリー」面白いですよと、紹介されて初めて本を手にした時、私は表裏表紙カバーの言葉にもう釘付けになりました。
約束の地カナンは阿波ニッポン!
豊葦原瑞穂国は古代ヘブライ語で「東方の日の出る約束の地カナン」の意味!
イスラエルの十二支族の中のカド族の長男の名前は「ニッポン」!
君が代が古代ヘブライ語!

目からウロコでした。

私は以前から徳島は特徴も魅力もない田舎。他県で徳島県というのがとても恥ずかしいとも思っていました。
しかし、阿波が古事記の舞台と知ると、とても素晴らしいところに思えるようになりました。
それも世界とつながっている日本の古代の痕跡が阿波(徳島)にある。歴史がひっくり返るようなお話にワクワクしながら読みました。

徳島は隠された謎がたくさんあります。私も以前から気になっていたことがあります。
何故か眉山中腹にある古い神武天皇の銅像。それは、神武天皇はここが生まれた場所だから。
四国遍路はなぜ四国の海沿い沿った札所がなぜ多くあるのか。それは剣山アークの結界だった。
神様の名前が難しい。それはヘブライ語だから。
一つ一つ謎が解けると頭の中の霧が晴れて行きすべてが納得いくのです。
改めて世界史と日本史を見直していくといろんな発見があります。

日本の誕生に隠された使命や、世界から注目される日本の天皇の意味。
この本を読んで日本人に生まれて良かったと思える本です。そのためには今、日本人の宿命を全うするためにどう生きるべきかまで書かれた聖書のようなものに思えました。
大きな使命を日本人は背負っていることを自覚して毎日を過ごしていきたいとこの本を読んで思いました。

皆様からも感想文の投稿お待ちしています。